干し柿作りのシーズン、菅野地区の前前後(まえぜんご)の山頂、尾道柿園に到着すると集落を彩る吊るし柿のカーテンが壮観な風景をみせてくれます。
前前後の串柿は、主に関西の商家や事務所にお正月の鏡餅の飾り用として出荷していました。
最盛期には4000本の柿の木がありましたが、機械化や鏡餅のコンパクト化などの時代の流れから 徐々に衰退を始め、ここ5〜6年で一気に需要が減りました。
衰退をはじめた干し柿つくりに再び活気を取り戻すために、宗さんは2011年に早期退職し2016年5月に株式会社を設立しました。
〝外はにこにこ、仲むつまじく〟の語呂に合わせた、串の両端に2個、中央に6個並べる伝統的な串柿はコンパクトになった鏡餅にはつりあわないため、需要や生産性を考え 、ヘタに紐をかける吊るし柿へ製造の主力を移しました。
毎年30本のペースで柿畑を増やし、2年目からは柿酢の生産と、かつては日本一の生産量であった柿渋の生産もはじめました。来年には柿渋工場を立ち上げる予定だそうです。
干し柿、柿酢、柿渋の生産はもちろん、中国地方では珍しい山頂の集落の風景や文化を守りながら、人々が訪れる場所にするべく構想を膨らませています。
